丸山社長はそもそも
なんでMini屋さんを始めたのか。
なぜジョンクーパーが生まれたのか、、
なぜお店の屋号はmini maruyamaなのか♪
そもそも
丸山社長はMiniとであったのはイギリスではなく。パリでした。
とっても意外な出会い^_^
パリは、
当時意外にもMiniを背景に入れない方が難しいほどMiniがたくさんあったそうです。
いい景色でしょうねー。
それを見た丸山社長は、、
これは日本に持ってきたらきっと最高だろう!!と確信と変わり、、動き出します。
幼き頃から、仕事や商売につなげるのが得意。手漕ぎのボートで川に落ちていた野球ボールを拾い、それを川で洗い、グランドに持って行って、格安で販売。^_^
爆発的に人気に♪
そんな商売上手な丸山少年は、、
そこから、地道に且つ,発想がいっぱい弾けるように生まれながら、大人になっていかれたのです。
↑このバイクは、中学生の時の愛車♪
その性分はしっかりと、
少年時代から大人へとつなげていたようです。
Miniのお店を始める時、
その時に決めた屋号には
この先も『Miniしかやらないんだ』という熱い想いと、『HONDAさんやTOYOTAさんのように国産なら〇〇、MiniならMaruyamaとなれるよう』頑張りたいという想いがあったそうです。
素敵ですねー♪
そこからのジョンクーパーさんとの出会いやMiniが日本で発展していくサマは
必ずと言っていいほど丸山社長が関わっているのですが、
それはMiniに,魅了されたんだ!という気持ち一つだったんだろうなぁと感じました。
Miniそのものにきっと魅了され続けていたのだろうと伝わってきます。
当時からメモをしてみえて、そのノートは今もしっかりキレイに保管されていて、
そんな人キングスロードには誰もいないんじゃない?
って私たちはお互いの顔を見合わせました^_^
当時をイキイキと振り返られてみえるその表情は、やはりMiniを発展させたかった思いが、
いくつになっても、素直に表現できるのでしょうね。
私たちもこうして、
Miniの歴史や仕事への頑張りが歴史を動かしていくんだということを
直接聞くことができ、幸せな事だなぁと改めて感じました。
そして今,丸山社長にはどんな夢があるのか、、それは
また明日(o^^o)
いくつになっても、どんな時代になっても、
夢を持ち続け,『いまを生きる』。。。